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2020.05.01
コロナ禍から、私たちは何を学ぶべきか

コロナ禍から、私たちは何を学ぶべきか
経営懇事務局長

 春、栃木県の大学に入学した孫娘がぼやいている。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため入学式が取り止めとなり、履修ガイダンスや履修登録手続きなどはすべてオンライン化。5月末までは多くの大学でオンライン授業が取られるようだ。早々と3月半ばに居を移して、インターネット環境を整えていたのはラッキーだったが、描いていた憧れの大学生活とは程遠いものとなったようだ。このコロナ禍から、若者たちも、そして私たちも何を学ぶべきか。ウイルスを爆発的に流行させているのは、大規模・集中・グローバルであり、大都市の機能停止が最も甚だしい。医療崩壊が現実味を帯びてきた。世界を見渡して、危機耐性が強かったのは、どんな条件を満たしていた国か地域かを確かめておきたいものだ。早期のワクチンの開発や治療薬を望みたいが、コロナの終息には数年の持久戦が必要かも知れない。今日のような事態に備えて、医療品、食糧、エネルギーなど生き延びるために必須な物質を自給自足できる国、国際協調を積み上げてきた国、指導者が国民に誠実に明確な発信をしている国であってほしい。さて我が国はこれらに該当するのか。

 急事態宣言が、4月16日に全国に拡大された。大型連休明けの5月6日まで、小、中学校、高校、特別支援学校が休校となった。最初の対象7都府県だけでなく、全国の子どもたちも再び日常生活が大きく変わり、感染そのものや情報不足からストレスを増す。「なんで休みになるの」「コロナがあるから外へは出られないの」と不安を募らせる。さらに大人を捕まえて、「遊ぼう!」「友だちに会いたいよ」。マリのように弾ける存在が、次第に気力を失っていく。子どもは大人のように情報を取捨選択して、適切に処理することが難しいのだ。大人が丁寧に力添えをして、この苦難を乗り越えてほしい。

 国の保育所では、登園自粛の扱いが異なって苦慮している。政府方針があいまいで、厚労省は最初の宣言が出た7日に「保育の提供の縮小を検討する」との方針を示したが,対応を自治体に委ねた。この宣言の「人との接触を最低7割、極力8割減らす」という政府目標が、保育現場の実情では難しく、感染リスクをゼロにすることなど不可能なのだ。前回の学校一斉休校の際と同様、保育所と学童は引き続き開園、感染拡大している状況を踏まえ、登園自粛を求めるとした。各自治体とも自粛の場合に、保育料を日割りで減額し、必要な子どもは受け入れて、感染防止対策の徹底を求めている。これまでは保護者が、朝夕に子どもの衣類や持ち物の点検、生活記録の記載など保育室に入室して協力してくれていた。宣言後はすべて保育士が行うことになった。その仕事量は膨大なものとなり、職員配置も大幅増となる。保護者支援も丁寧に、保育者の健康保持にも細心の配慮が必要だ。

 型コロナが終息した後のことも想像したい。園児たちと地域に出かけて、多くのことを学びたい。演劇や音楽会など多くの文化芸術にも触れさせたい。親しい人たちの調べをいっしょに楽しみたい。哲学者の内山節氏の「子どもたちの時間」にあった。“地域は学びのフィールドである。…風を感じ、土を体感する。生活の技、そして自然やそこに暮らす人とのつながりを垣間見ることができる。多様な生き物や自然とともに生きてきた人々の知恵の偉大さに触れながら、歴史の重み、自然と共生した営みである農業への気付きなど多くの教育的価値に出合える”と。子どもには農的な時間のなかで生きてほしいのだ。

(2020年4月)